記録する愉しみ

日記帳は長続きしたためしはなかったけれど、昔から筆まめの自意識もあった。
ネットでの記録も大学からずっとしてるから、もう10年近く経つのかもしれない。

最近またスランプに陥ったみたい。
昔みたいな素敵な文章が書けなくなった。

書く時に、読み手を限定してはいけない。
誰が読もうと、誰に知られようと、そんなの知ったこっちゃない。
秘め事だけは、自分の心の中だけに。

そういう細かいことよりも、多分書く時間が無いんだと思う。
朝の支度、家の仕事、自分だけの時間、タスク、夜の準備、瞑想。
物思いにふけているだけであっという間に時間は過ぎる。

mixiに何かしら私生活を晒して、コメントを求めてしまうさびしんぼうみたいな気持ちはいい加減卒業したいな、とか。
その反面、何かしらつながっている人へのあいさつ回りみたいな日記回覧とかは欠かしたくないなぁとか。

メールにしろSNSにしろ、文字情報だけの繋がりにすがっているのは何だか私らしくない気がする。
遠方の友人たちに近況報告の意味で日々のあれこれを公表してきた意味合いは、今ではすっかり薄れてしまって。
双方向の関係が成立しないのであれば、一方的に情報を搾取されるような状況は避けたい。

単なる記憶→記録への投影であれば、どんな形でも構わないとは思うのだけれど。