秋だから人恋しいのか、世代のせいなのか

この前にダイアリーを書いたのが夏で、季節はもう秋。
秋です。多分秋です。

年初に誓った、一ヶ月に一冊は何かしらの本を読了するという誓いはもう2月の時点で諦めましたが、
過ごしやすい季節になってくると、不思議と読書欲がむくりと。

読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、とりあえずどれも実践はしているけれども、(主に食欲方面ですかね)
そもそも言葉に踊らされているような気もして、本当に自分が考えていること、やりたいことは何なのかと
物思いに耽ってしまうのもまた秋だからなのか。


で、ここんところ昔のことをよく思い出します。

春に旦那さんの転勤を追いかけて引っ越したお友達が、不定期にメールをくれるのですが、
彼女は所謂SNSのたぐいをほぼほぼやっていない(というか、私がハイクとツイッターしかしてないので
もしかしたらFacebookとかLINEやらしてるのかもしれんけども)ので、メールでの便りがちょっとした文通のような
まとまった近況を知らせてくれるのでなかなか面白く。

彼女と出会ったのが上京して数年後、今から多分10年前くらい?正確な月日は覚えていないのだけど、
少なくともわたしはまだ20代で、彼女は数歳年下で。

音楽の趣味¥がつないだ仲間と一緒に音とお酒とご飯をかこんで、いっぱい笑った、私にとっては遅くきた青春時代を彩った
大事なお友達なので、自ずとその時代を一緒に過ごした人たちの今について、懐かしく思いつつも、もう戻れない切なさなんかも
どうしても思い知らされてしまって、なんだか無性に寂しくなってしまうのです。


当時のみんな、やろうと思えば連絡は取れる。だけど、当時と状況は全然違う。関係性は変化する。

わかってるけど、わかってるけど本当はずっとこのままでいたかった自分だけが置いてけぼりなような気がして、
唯一に近い、未だにたまに誘って飲んでる友人と、当時の楽しかった話を肴に飲んだくれてたりもするのだけど、
やっぱり寂しさは消せない。これは秋のせいなのか、変われなかった私のせいなのか、正直なところよくわからない。

とろうと思えばとれるけど連絡できない、それは相互関係が失われてしまったからだってのもうすうすわかってる。
自分から誘うばかりはしんどいし、あちらから連絡がこないということは、その人の今の生活に私は全く必要ないってことも。
断られるのって何気にダメージ大きくて、これが続くと豆腐メンタルな私は結構立ち直れないほどだったり。
悲しみを怒りにすりかえたりしないと、ちょっとやってらんない。
そんなダメージを受けるのわかってるならやらなきゃいいのに、やっぱりつなぎ止めたくてやっちゃう私がバカなんだろう。

嫌いになった訳じゃない、だけど人との関係性は変わっていく。時間には逆らえない。
学生時代の仲間なら、同窓会とか節目で再会するチャンスもあるんだろうけど、こういう当時夢中だったものが今は共有できない仲間とは難しいね。

こうやってひとつひとつ諦めていく、これが30代の哀しみなのかなとひしひしと感じてしまうのでした。



☆勝手に今日の一曲☆
大江千里 Rain

1234

1234

名曲なのにベスト盤に入ってない不思議な曲。マッキーや秦くんのカヴァーの方が有名かな。
行かないで 行かないで そう言うよ
ってさー、大江千里切なさの天才。おいらも泣く。独特な歌声は今考えると相当な武器。